日本の育成システムが抱える問題について解説します。
海外と日本の育成システムの違いから、日本独特の問題点が浮かび上がってきます。
例えば、「高校サッカー」は日本には当たり前のように存在していますが、海外から見たら不思議な存在です。日本における高校サッカーは一種のブランド化されていて、年に一度の選手権ではJリーグ以上の注目度があるかもしれません。100年続く高校サッカー選手権の歴史ですが、Jリーグができて30年経つ今、高校サッカーがこんなに人気である必要はあるのでしょうか?
ただの学校のクラブ活動の域を大きく越えている規模の「高校サッカー」が日本のサッカーにどのような影響を与えているか考えてみましょう。
目次
高校サッカーの存在が邪魔?
Jリーグは、発足当時と比べて今ではチーム数も増え、3部までがプロクラブとして参加しています。より多くの地域で、多くの選手がプロとして活躍できるための裾野が広がったのはとてもいいことだと思います。
しかし、日本の人口、サッカーの競技人口を考えたら、もっといい選手が出てきたり、サッカーが盛り上がっていてもいいのではないかと疑問をもちます。
また、比較的裕福でサッカーに打ち込む環境も整っていて、他国と比べてアドバンテージがあるはずなのに、成長のペースが緩すぎであり、Jリーグも、人気はそこそこでレベルもなかなか上がっていません。
日本の育成システムのどこに目詰まりがあるのでしょうか。
海外の育成システムと日本の育成システムで決定的に違うところは、高校サッカーの存在です。日本の高校サッカーは100年の歴史があり、日本サッカーに定着しています。
これはとても珍しいことです。海外からすれば、サッカーはクラブチームやスクールでするもので、学校でするものという概念がありません。
日本でも海外と同じようにジュニア世代、ジュニアユース世代までは、Jリーグチームの下部組織以外にもクラブチームが多数存在しており、地域にも根付いています。
しかし、ユース世代になると高校サッカーが圧倒的な力を持っていて、そこで「サッカー=クラブチーム」という図式が崩れてしまいます。
せっかく選手もクラブチームも地域と共に育っているのに、ユース年代からバラバラになってしまうのです。
日本では、プロを目指す選手は15歳で選択肢が2択に絞られます。Jリーグチームの下部組織へ行くか、高校サッカーの強豪校に入るか。Jリーグのユースチームに飛び入りで入るのは難しいですし、高校サッカーの強豪校といっても、県に2校あるかないかで競争率が高すぎます。
それらの選択肢を勝ち取れなかった選手の行き場所はあるのでしょうか。15歳の時点でそこまで選択肢が絞られる必要はないと思います。
高校サッカーの縛りがもたらすもの
そもそも、学校の進級に合わせてサッカーの世代も区切る必要があるのでしょうか。小学校、中学校、高校、大学というのは学校教育での階級であって、サッカーの階級に当てはめる必要はありません。
高校のサッカー部に入部してしまったら3年間環境を変えることができないというのが、高校サッカーの圧倒的な弱みであります。もしサッカー部の監督に気に入られなかったら、もし人間関係がうまくいかなかったら、もし環境が自分に合わなかったら我慢をするしかありません。そこで結果を出せなかった場合、果たして選手の責任なのでしょうか。
監督にも好みがありますし、人間関係も相性があります。環境についても育った環境が違いますから、居心地の良さも人によって異なります。
大切なことは選択肢がたくさんあること、頑張ってもうまくいかないときに別のルートでチャレンジできることです。その可能性を奪ってしまう高校サッカーの3年間の縛りは多くの選手の未来を潰してしまうことにつながります。
同じレベルの選手でも、選手権に出場した選手としてない選手では評価が違います。3年間を選手権にかけるという考え方が結果至上主義で、プロセスが何よりも重要な育成世代に適していません。
もし高校サッカーがなかったら
もし、高校サッカーが存在せずに、クラブチームだけが存在していたらどうでしょうか。Jリーグの下部組織とクラブチームのレベルの差が少なくなります。結果、地域のクラブチームが実力をつけることができます。
本来クラブユースでプレーするはずだった選手が高校サッカーに流れてしまうことで、一気にクラブチームの競争力が下がります。しかし、それらの選手がクラブチームに残ればユース世代のサッカーがクラブチームに一本化され、競争力が上がるだけでなく、地域のサッカー盛り上がります。
地元のクラブチームが強ければ、わざわざJリーグの下部組織や高校サッカー強豪校を目指していく必要ありません。
また、高校サッカーが存在することで生まれてしまっている中学・高校の枠を取り去れば、わざわざ15歳で強制的にサッカー選手としての未来の選択をしなくても「学校は学校、サッカーはサッカー」と分けることができます。
例えば、南米の多くの国では2歳ごとにカテゴリーが分けられていて、スクール、U-11、U-13、U-15、U-17、U-19、サテライト、トップチームという図式が出来上がっています。
各カテゴリーごとに30名程度の選手が在籍していてトレーニングやコンペティションをしています。選手登録期間が年に2回あり、その間チームを変えることができます。クラブ側も積極的に選手の入れ替えを行っており、定期的にセレクションを開催したり、テスト生を随時受け付けていたりします。
今の状況のように、あまりにも多くの選手が高校サッカーに流れてしまうことは、地域のクラブチームを弱体化し、Jリーグの下部組織、名門高校の一強化を助長しているのです。
地域サッカーの重要性を知る
サッカーにもっと人気が出て、日本サッカーが強くなるためには、地域のサッカーが非常に重要になります。
生まれ育った環境に大きく影響されずに誰もが同じようにチャンスを得られるようになること、そして身近なところでサッカーが存在することが、国民のサッカーレベルを上げることにつながります。
J3ができてプロチームが増えたものの、サッカー人口に比べてサッカーで稼げる人がまだ少なすぎるように思えます。バスケットやラグビーなどのプロリーグができて大きな盛り上がりを見せていますが、サッカーのポテンシャルとは比べものになりません。人気スポーツは群を抜いてサッカーなのです。
子ども向けのサッカースクールは山ほどあるのに、ユース世代からトップチームが活動していない、または存在していないクラブチームが多すぎます。原因は、高校サッカーで選手が分断してしまうこと、そしてその世代にサッカー選手になる目標を断念してしまうことです。
プロになる人の枠が小さすぎます。せっかく大きなポテンシャルを秘めているスポーツなのに、選手の受け皿が小さすぎるのです。たとえ多く稼げなくても、セミプロというカテゴリーがもっと広まってもいいのではないでしょうか。仕事をしながらサッカーをするという形が浸透すれば、サッカーを断念せずに続けられる人も増えます。
近い将来JFLや地域リーグがもっと育ち、新しい形のJ4、J5ができてもいいはずです。
地域のクラブが育てば、わざわざ遠くに可能性を求めていかなくても、自分の生まれ育った町でサッカーと共に生きていくという生き方ができるのです。
サッカー選手の分母数を増やすことが、結果的にサッカーを成長させます。
高校サッカーが選手の流動を妨げる?
育成世代でサッカーを諦めてしまう人を少なくするためには、選手の流動性が重要になります。そのために、18歳以下でもチームの移籍をもっとしやすいようにすればいいのです。ひとつのチームでダメなら、他のチームで新たな可能性を見出す。それが育成年代から自由にできれば結果的に競争力も上がり、それぞれの選手がそれぞれの輝く場所でプレーすることができます。
高校サッカーが選手の流動性を一気に落としているのは明確です。
サッカー名門校には全国から選手が集まってきます。部員100名以上いる中で3年間寮生活をしてプロになる夢を叶えるために切磋琢磨します。しかし、ほとんどの選手が花を咲かせないまま終わっていくのです。せっかくサッカーの情熱も技術もある選手がたくさん入部しても、部活内の競争の方が全国的なサッカーの競争より厳しくて、結局閉ざされた環境の中で開花できないまま3年間が終わってしまいます。
強豪高校に埋もれている才能のある選手が地域のクラブチームに在籍して、クラブチームもJリーグの下部組織と対等に競えるようになれば面白くなるはずです。日本サッカーのユース世代は、Jリーグの下部組織と強豪高校だけがタイトルを競い合っている状況ですが、その構図が変化しない限り、30年前も今も同じ育成の失敗を繰り返すことのなるのです。
育成年代のコンペティションの課題
育成世代のコンペティションもプロと同じようなカレンダーで行うべきです。Jリーグと同じ日程で2月から12月まで年間を通してリーグ戦を戦うという形です。
今の育成年代は、一番伸びしろのある時期なのに関わらず、試合数が少なすぎます。練習や練習試合ばかりしていても成長しません。
育成年代でもリーグ戦が毎週あって、オフ期間も移籍期間もあってプロと同じサイクルをスタンダードにすれば、プロ意識を植え付けることもできます。
Jリーグのようにスケール大きくやる必要はありません。県リーグ1部、2部、3部のディビジョンを作ってホーム&アウェーでやればいいのです。県内なら比較的移動も簡単にできますし、開催も楽にできます。昇格や降格があれば選手のモチベーションも上がります。
同じ相手と戦うことが多くなりますが、同レベルのチームと戦えるので、ライバル関係や、相手チームの特徴を分析して戦うとか、リーグ戦ならではの良さがあります。
サッカー選手として熟練するのも、リーグ戦を毎週戦って成功や失敗を継続的に繰り返し経験することから始まるのです。
今のように選手権や高円宮杯など、トーナメント戦が主流の大会だと一発勝負なので継続性も公平性もありません。トーナメント戦から得られるものは、タイトルのみです。
本当に選手を成長させたいなら、リーグ戦で公式戦の試合数を重ねることです。トライ&エラーを繰り返すこと、チャレンジとリベンジができる環境を与えることが非常に重要です。
やはり目詰まりを起こしているのが高校サッカーです。選手権が目標となっている高校が多くありますが、年に1度のトーナメント戦を目標にするほど効率の悪いことはありません。
それだけでなく、3年間の集大成を選手権で終結するという考え方も育成年代でどれだけメリットがあるのか。目標にするのは素晴らしいことですが、選手権に出たから良い、出なかったから悪い、という偏った考え方に陥りがちになります。
また、高校サッカーでリーグ戦を開催するにしても、全校を対象にしなければいけません。サッカーの強い高校とそうでない学校の差が大きすぎます。強豪高校と弱小高校が試合をしてもメリットはありません。目指してるところが違うのです。
全てクラブチームならチーム自体が絞られるので、リーグ戦が可能になります。高校サッカーのように全校が強制参加するのではなく、県リーグに登録されたクラブだけが、参加し、ディビジョンに分かれてリーグ戦を行う。新規参入クラブは県リーグ昇格トーナメントを年に1度開催すればいいのです。
もし全国大会を開催したいのなら、県の年間リーグ戦を制したチームが、全国大会に出れるというシステムにしない限り真の実力がわかりません。
サッカー選手は試合によって成長します。年に数回の大きい大会よりも毎週ある小さい試合のほうが価値があるのです。
日本人に足りないもの、それは考える力です。サッカーIQが外国人と比べて圧倒的に低いです。
言われたことを完璧にこなすことではなく、自分で考えて答えを探すことがサッカーには必要です。いくら練習で技術を習得しても、試合で使うための戦略的な頭脳がなければ意味がありません。サッカーIQは試合でしか高められないのです。
まとめ
日本サッカーの育成システムについて疑問に思ったことをいくつか挙げました。
海外の例がすべて良いとは限りませんし、サッカーだけでなくその国それぞれの文化、政治、教育、経済、そして歴史があるので真似をすればいいという問題でもないです。
また、育成システム改革は永遠のテーマで、誰もがよくなることを望んでいるにも関わらず正解はありません。改革をしたくても数十年におよぶプロジェクトなので、簡単なことでもありません。
日本サッカーから高校サッカーがなくなることはないと思います。そもそも高校サッカーは部活のひとつで、いつの間にかサッカークラブのようになっているだけだからです。
高校サッカーは、日本サッカーに大きく貢献してきました。Jリーグが発足する70年も前から高校サッカーが存在していたのです。クラブチームとは歴史が違います。高校サッカーに携わってきた人たちの想い、情熱、そして日本サッカーを少しでも良くしようという先代の努力の賜物です。
高校サッカーという晴れ舞台があるからこそ、日本サッカーが成長したのかもしれません。高校サッカーをみてサッカーを始めたこどもたち、高校サッカーに勇気をもらった人たち、高校サッカーと共に成長した人たちなど、教育的な観念からも高校サッカーといものが社会的貢献をしていることも間違いありません。
スポーツが海外ほど根付いていないこと、そして学校教育を重要視する日本では、高校サッカーが合っているのかもしれません。
しかし、今の育成システムではサッカーの成長と発展に限界があります。エスカレーター式にサッカークラブもサッカー選手も減っていく現状を打破する必要があります。
逆に言えば、サッカークラブもサッカー選手も増えていくようになれば、サッカーは育つのです。「サッカーの発展=クラブ数が増えること」「サッカーの成長=選手数が増えること」という基本的な考えに従えば、高校サッカーがそれを妨げているように思えてなりません。
サッカー人口が急に増えるわけではありません。問題は高校サッカーで身動きが取れず埋もれてしまっている選手が山ほどいるということです。潜在的に存在している選手が活動できるようになることが近道だと思います。
サッカー選手という職業が手の届かない存在なのではなく、もっと身近な存在になるための一歩が、地域でのサッカーの普及です。育成年代もプロと同じようなシステムを取り入れることで、よりそれに近づくことができます。
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