サッカーの発展に重要な役割を担っているのがメディアです。
海外のサッカーに少しでも触れたことがある人なら、日本のサッカー報道の歯がゆさに気が付くことも多いはずです。日本サッカーは成長してるかもしれません。しかし、世界のサッカーも成長しています。日本サッカーがいわゆる「井の中の蛙」になってしまっていないか、日本のサッカー報道の在り方について検証します。
目次
日本のサッカー報道の特徴
日本のサッカー報道は、サッカー先進国と比べて大きな違いがあります。サッカーに限らず、日本のスポーツの伝え方について疑問に思うことが数多くあります。
残念ながら昔からあったサッカー情報番組は終わってしまいました。Jリーグは民放で放送されることはほとんどなく、たまにある日本代表戦が放送されるだけで、ワールドカップ最終予選ですらアウェイの試合は有料配信サービスのみの放送となっています。
Jリーグ発足当時がピークとして、どうしてサッカー人気が落ちていってしまったのか。もちろん無数の要素が重なってこうなっているのですが、メディアの報道の仕方も大きな原因となっていることは間違いありません。
決して批判しない報道
どうしてサッカーの解説やコメンテーターは批判しないのでしょうか。
勝っても負けても、いいパフォーマンスができなければ批判をするべきです。批判をしなければ、スポーツの発展には決してつながりません。
いいことがあったら称賛して、悪いことがあったらそれを伝えないやり方は、チームをダメにします。
「褒めるだけ」「負けても批判しない」「試合内容に触れない」「総合的評価をしない」などの報道の仕方は、当該チームだけではなく、サッカーそのものにも有害です。
もちろん、審判やマッチコミッションに対しても、批判があってしかるべきなのです。日本の審判のレベルが海外と比べて圧倒的に低いのは、サポーターからもメディアからも批判にさらされる環境にいないからです。
SNSや配信サービスなどでは、批判がある程度あったとしても、マスメディアの影響力とは比べものになりません。
いつしか、セルジオ越後氏のようなモノをハッキリ言うコメンテーターがマスメディアから排除され、うまいコメントでまとめる人が使われるようになっていきました。
サッカー番組に時間を割いていられないので、批判をしている余地がないという見方はありますが、おそらく今のマスメディアの性質上、1時間あっても1時間無難ことだけを言って終わるでしょう。
もし第三者が正しく批評をしなければ、試合で起こる全てのことがチームの内輪の出来事として終わってしまいます。同じ価値観の中で課題を解決しても、本質的なチームの成長にはつながりません。きちんと良いものは良い、悪いものは悪いと評価してくれる第三者がいて、はじめてチームが本質的に成長できるのです。
アルゼンチンでは、メッシやマラドーナなどの伝説的な選手ですら結果が出なければ一番に叩かれます。それは当然のことで、チーム内で圧倒的な力を持っている選手や監督は、第三者から批判されなければ誰が批判するのでしょうか。批判は自分を客観的に見つめるいい機会であり、選手や監督のモチベーションにもなります。
また、監督はチームの指揮を執っている立場で、試合内容や結果の第一責任者です。監督はもっと常に批判の的になっていてもいいと思います。
観ている人がサッカーをうわべだけでなく、称賛も批判もしっかりできるように目が肥えてくれば、サッカー全体のレベルアップにもつながります。
その重要な役割を担っているのが、メディアです。失敗した人を吊るし上げて袋叩きにするような批判ではなく、しっかり失敗を検証して伝えるべきメッセージを伝えることが報道する側のプロフェショナリズムです。批判をすることはタブーではありません。「建設的な批判」は誉め言葉です。
サッカーについて議論する場がない
解説やスポーツコメンテーターが批判しないのは、彼らのせいだけではありません。言いたいことを言える場所が提供されていないのです。
マスメディアでは規制が厳しいので、youtubeやSNSなど自らの持っているメディアで発信をするしかありません。ですから、彼らの発信は聞きたい人にしか届きません。
アルゼンチンでは、サッカーについてひたすら議論する番組がいくつかあります。サッカーに精通したベテランの記者や元サッカー選手、監督などが意見を交わし合うというものです。アルゼンチンと日本ではサッカーの人気度は全然違うので、メディアがサッカーに割ける時間が比べものにならないのはわかりますが、ここで大事なのは、さまざまな視点から忖度なしで議論ができる場があるということです。
それぞれの立場でサッカーの見方は違います。
試合の評価も、ただ勝敗で判断するのではなく試合の背景や前後関係を分析して多方面から議論ができれば、結論に至らなくてもサッカーの発展につながります。
誰の意見が正しいのかではなく、意見をぶつけ合うということが大切なのに、日本のメディアは、ディスカッションを嫌い、台本通りの慣れ合いで終わっています。
結果、観ている人がその生温さに気づいて離れていくだけでなく、新しい層にサッカーに興味を持ってもらうこともできません。
スポーツの過剰なエンターテイメント化
サッカーに限らず、スポーツ全般の報道に関して言えることですが、スポーツ報道がエンターテイメント化されすぎているように見受けられます。スポーツはエンターテイメントであることは間違いありませんが、エンターテイメントとしてのビジネスが最優先になっており、スポーツの発展が後回しになっているのが現状です。
スポーツの発展とは、本質的にその競技を見つめ、全体的なレベルアップと継続的な成長を目指すことだと思います。それがあって初めてエンターテイメント要素やビジネス要素がついてくるというのが理想のカタチです。
スポーツはスポーツ、サッカーをしているならワールドカップ優勝を目指すのが当たり前で、そこを目指す力がなくなってしまったら成長は止まります。人を楽しませるだけのエンターテイメントやお金を稼ぐだけのビジネスとは別の次元の話なのです。
過剰なサッカーのエンターテイメント化は、クラブやメディアにとっては利益があっても、日本サッカーにとっては不利益でしかありません。
視聴率やページビューを稼ぐためだけに、報道が偏り過ぎてないでしょうか。話題性のある人物や事柄だけを面白おかしく取り上げて、選手のパフォーマンスや試合成績などスポーツにおいて大切なことに触れないことが多すぎます。
話題のある選手はたくさんいます。若手の新星、未だ現役のレジェンド、外国人監督、など注目されやすい存在や、外見やトークの面白さなどバラエティ的要素を含めている選手などです。しかし、新星をスター扱いしたり、ピッチで結果を出していないレジェンドを称え続けたり、選手なのにサッカーとは関係ないところで注目されすぎるのは正しいのでしょうか。
話題性ばかりがひとり歩きしてサッカーそのものを見れなければ、共通理解として皆が持っておかなければいけない「サッカーの発展」が無視され続けています。
クラブは存続のために、サッカー内外でさまざまな戦略を立てます。
しかし、理想を言えばメディアは総合的に判断できる中立的な立場であってほしいです。報道する大前提として、スポーツの概念を念頭において発信をすること、そして共通理解として、「みんなでサッカーを強くしましょう」「上を目指しましょう」というメッセージが伝わってくるようにする必要があります。
観ている人を楽しませるのがエンターテイメントの趣旨で、スポーツはその最大のツールです。しかし、楽しませ方がスポーツの域を越えすぎてしまってはスポーツの成長は何十年経ってもありません。
高校サッカーの報道の謎
正月といえば高校サッカーですよね。注目度は高いですが、報道は残念です。
高校サッカーの本質とは何か。プロサッカーと違うところはどこで、高校生のサッカーが与えるメッセージは何か理解する必要があります。
今の高校サッカーの報道は、注目選手を徹底的に取り上げてスター扱いをし、試合中だけでなく特集やハイライトでも、注目選手ばかりにスポットライトを当てて、まるでその選手だけが主役のような映し方をします。
Jリーグ内定者や世代別日本代表候補選手など、チーム内で象徴的な存在の選手にスポットライトを当てるのはわかりますが、そればかりになってしまうと高校サッカーの本質とは何かわからなくなります。
高校サッカーはプロスポーツじゃないので、より教育的な要素が含まれています。個よりも全体にスポットライトが向けられるべきなのです。まだプロになって結果も出していない選手をそんなにスター扱いする必要があるのでしょうか。個が資本のプロサッカー選手に対して、高校サッカーは3年間共同生活をし、同じ目標に向かって全員でひとつのものを作り上げていく物語のようなものです。
クラブユースでも、大学サッカーでもなく、”高校サッカー”がこんなにも人気な理由のひとつは、彼らのサッカーそのものより、人間性としてのひたむきさが尊いと思えるからでしょう。Jリーグの何倍も歴史の長い高校サッカーは、ピッチに立つ選手だけでなく、ベンチメンバー、ベンチ外の選手、応援団、先輩後輩やOB、保護者、学校関係者などたくさんの人の想いが乗っかって出来上がっているのです。
過剰に青春物語を作り上げて伝える必要はありませんが、高校サッカーの素晴らしさを表現している選手全員をもっと満遍なく評価してもいいと思います。
日本代表の報道の落とし穴
サッカーに携わっている人にとって一番違和感が残るのは、日本代表の報道ではないでしょうか。サッカーに精通してない人が見たら、日本サッカーは世界的に見て強いと思っているのではないでしょうか。親善試合ではほとんどすべて大勝しますし、FIFAランキングもそこそこ上位で、ワールドカップにも毎回出場しています。
ホームで格下相手に圧勝した親善試合について、メディアは何を伝えるべきなのでしょうか。例えば、モンゴル相手に6対0で勝った試合のレビューで、”事実”はもちろん「日本が国際Aマッチで快勝した」ことで間違いありませんが、本当に伝えたいのはその部分ではないはずです。相手は誰で、目指すところはどこで、どのような意図でこのマッチメイクをしたのかがもっと前面に取り上げられるべきです。
FIFAランキングについても、単に日本のランキングが何位で、対戦相手は何位などの情報だけでなく、どのような査定方法でFIFAランキングが決められているのか、ランキングがどの程度指標となるのか、そもそもランキング評価は意味あるのかなども加えて説明されないと、大きな勘違いが生まれてしまいます。
なぜ日本主催の親善試合ばかりが行われ、日本はホームで格下相手と繰り返し試合しているのか。なぜ強豪国とアウェーで戦わないのか。
FIFAランキングを上げるためにそのようなマッチメイクをしているという考えがでてもおかしくありません。
日本代表は、日本サッカーの未来を象徴している重要な存在です。表面的に伝えるのではなく総合的に評価し、サッカーファンもそうでない人もわかりやすいように、日本サッカーは何を目指していて、今どのレベルにいるのかを明確にし、「みんなで強くなりましょう」というようなメッセージが伝えられることが求められます。
まとめ
日本のサッカー報道について疑問に思う点をいくつかあげました。SNSや配信サービスの時代ですが、未だテレビなどのマスメディアの影響力は大きいです。
世界的に競技人口が圧倒的に多くて競争率も高いサッカーでは、選手、クラブ、地域、そしてメディアは一貫となって成長しなければ、いつになっても日本のサッカーは強くなれません。
サッカーをやっている以上、頂点を目指すことは当たり前のことで、ただ盛り上がるだけではいけないのです。サッカーがビジネスに影響されすぎずに、独立してひとつのスポーツとして発展するためにはメディアの力が必要なのです。
サッカー好きな人が、サッカー離れをしている、そしてサッカーに興味がない人はサッカーに興味が湧かないのが現状です。
サッカーが育たないことは、単に選手やクラブの責任ではありません。肝心なサッカー協会の体制はどうなっているのか、そして報道の仕方は正しいのか、伝える側の工夫と決意も必要なのではないでしょうか。
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