【サッカーの話】サッカーが私たちに残してくれるものとは?

遅かれ早かれ、サッカー選手には終わりがきます。また、テレビに出て活躍してる選手だけが、サッカー選手ではありません。世界中には無数の「名もなき選手たち」がいます。彼らにもそれぞれの人生のストーリーがあって、「サッカーで何を達成できたか」に関わらず、サッカーをした人にとってサッカーはかけがえないものになります。では、サッカーは何を残してくれるのでしょうか。

学び

サッカーを通して、たくさんの学びがあります。サッカーが与えてくれるものの素晴らしさを知っているからこそ、サッカーに真剣に取り組んでいる人には、悪い人はいないと信じています。

ただサッカーをしているだけで、生きていくために必要なさまざまな要素が学べます。特に小さい頃から経験をしていると、大人になったときには人格者となっているでしょう。サッカーには人生で大切なことが凝縮されているのです。

南米のほとんどの地域では、貧しい子どもは教育も満足に受けられない環境に身を置く中で、街のサッカークラブが彼らの人生の学びの場となっています。サッカーに打ち込み、夢を追い求めることで、苦しい環境でも非行に走らず、立派な大人になっていくのです。

学校や家で教えてくれないことを、サッカーでは教えてくれます。
サッカーで起こる感情は、かけがえのないもので、人生を豊かにしてくれます。


喜び:試合に勝ったとき
怒り:メンバーに外されたとき、悪質なプレーをされたとき
悲しみ:目標が達成できなかったとき、サッカーで起きる不幸
悔しさ:負けたとき、自分のプレーができなかったとき
憤り:不公平で負けたとき
忍耐:試合に出れないとき
我慢:ファウルされたとき
屈辱:股抜きされたとき、圧倒的な力を見せつけられたとき
楽しさ:自分の思うようなプレーができたとき
共感:喜びや悲しみをチームメイトと分かち合うとき
愛情:チームや選手のファンになる
友情:チームメイトとわかり合うとき、チームメイトとの出会い
同情:チームメイトを慰めたり、励ますとき
恥:下手なプレーをしたとき
不安:試合前に緊張するとき
孤独:チームメイトとうまくいかないとき
罪悪感:致命的なミスをしたとき
困惑:カウンターを食らったとき
イライラ:自分やチームがうまくいかないとき
嫌悪:チームでの人間関係
満足:目標が達成できたとき、いいプレーができたとき
不満:認めてもらえないとき
感謝:辛いとき支えてもらったとき、ミスをカバーしてもらったとき
尊敬:憧れの選手をみたとき
責任:試合に出て自分の役割を全うするとき
勇気:チャレンジをするとき、大事な試合に出るとき
意欲:試合に出るために努力をするとき
後悔:ミスをしたとき
嫉妬:自分よりうまい選手をみたとき、タイトルを逃したとき
優越感:勝ったとき、ポジション争いに勝ったとき
劣等感:負けたとき、ポジション争いに負けたとき
苦しみ:怪我をしたとき
悩み:結果がでないとき
感動:素晴らしいプレーをみたとき
恨み:怪我をさせられたとき
切なさ:チームメイトとの別れ
恐怖:ペナルティキックにのぞむとき
無念:努力をしても報われないとき
軽蔑:卑怯なことをしている選手を見たとき
懐かしさ:前チームや地元のサッカーを思い出すとき
親しみ:自分に似た選手や生い立ちに接したとき

このように、思い出すだけでもたくさんの感情が沸き上がります。普通に生活しているよりもサッカーをしているとより強く感情が起こるのです。

サッカーではネガティブな感情も多く起こります。しかし、ネガティブな感情というものは悪いことだけではなく、自分の成長、そして共感力を高めるために必要な感情です。自分が経験した感情の種類が多ければ、そのぶん人のことも理解でき、優しくなれます。

ポジティブな感情も、ネガティブな感情も、経験すればするほど人として大きくなれるのです。

人間性

サッカーでは、試合の勝ち負け以上にもっと大切なことがあります。サッカーは紳士のスポーツなのです。「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にするスポーツだ」というクラマー氏の名言のように、サッカーには人間性を育む大きな力があるのです。

リスペクト

サッカーはチームプレーなので、人間関係で成り立っています。チームの中で、自分がリスペクトしなければ、周りも自分をリスペクトしてくれません。結果、自分がリスペクトをしない限り、孤立していくのです。
誰かから叩き込まれてリスペクトを学ぶのではなく、自らの経験でリスペクトを学んでいくのです。

公平性

サッカーにはたくさんの不公平が溢れています。選手はいろいろな不公平に辛い想いをしながらも、耐えながら戦っているのです。

審判の不公平なジャッジ、監督の選考基準、自分のせいじゃないのに責められたり、チーム内でもさまざまなイザコザがあります。しかし、不公平を挙げたらきりがなく、それに一喜一憂してたら生き残れません。サッカー選手はそれがわかっているので、不公平な境遇にあっても、我慢して自らの力で見返すということを繰り返してるのです。

たくさんの不公平を経験したからこそ、不公平にあったときの憤りやもどかしさを知っていて、人に平等に接することができるのです。

外向性

サッカー選手や経験者の大きな特長といえば、外向性ではないでしょうか。サッカーはコミュニケーションなしには成り立ちません。1チーム11人という、チーム競技での中でも最も参加人数の多いスポーツのひとつです。

サッカーをしているだけで、自然にコミュニケーション能力が身につきます。チームメイトとの関係で社交性を学び、自己主張をすることの大切さを知ります。

自分の意志を主張できなければ、試合に出る前にチーム内の競争に勝つことができません。誰かが何かをしてくれるのを待っていても、競争の厳しいこの世界では、誰も助けてはくれません。

そんな環境に身を置いているうちに、自己主張ができる自分になり、外向性も身につくのです。

共感力

チーム内の競争、そして試合を戦っていくにつれて、喜びや苦しみを共有する機会が多くなります。感情を共有すればするほど、共感力が身につくのです。

サッカーには出会いの機会がたくさんあります。移籍をしてチームを変えることもたくさんありますし、リーグ戦を戦っていれば他チームの選手とも仲良くなります。人とのつながりがとても広いので、たくさんの人と関わり合い、サッカーを通してたくさんの感情を分かち合い、相手の気持ちがわかる人間になれるのです。

自己管理

サッカーは、毎週試合があります。選手を続けるためには自己管理が必要になります。毎週本気で戦える舞台があって、評価される機会があるのです。

規則正しい生活、自己管理、それらができない選手はおのずと落ちていきます。
そこで、自己管理能力が身につきます

責任感

サッカー選手は、クラブのために雇われた職人のようなものです。クラブの利益・発展が最優先で、クラブのために自分の能力の全てを捧げます。監督や、全てのスタッフも同じことが言えます。個人よりもチーム、それが一番大切なのです。

サッカーのように、歴史が長く、地域に根付いているスポーツでは、多くの支援者がいます。どんなに小さなクラブでも、ファンやサポーター、会員などの支援者の支えによって成り立っています。

南米では、プロ、アマチュア含め、創立100年以上のクラブがほとんどです。自分の祖父の世代からその地域にはそのクラブがあって、地域のシンボルとして存在してきたのです。

そんな中で、選手としてクラブの看板を背負ってピッチに立つことは光栄ですが、責任も重くのしかかります。単にその試合を観にきている人にいいパフォーマンスを魅せればいいという問題ではなく、クラブの歴史、携わってきた人たちの想いも背負って戦ういます。

また、チームの一員として戦う以上、ピッチに立っていても立っていなくても、自分は何の役割を果たさなければいけないのか、勝つためには何が必要なのか理解し、行動しなければいけません。

試合の勝敗、クラブの利益だけでなく、人々の想いも背負っている覚悟を持ち、戦っている選手には、責任感が生まれます。

ポジティブ思考

サッカーは毎週試合があり、毎週試されます。一度ダメでも、すぐに立ち上がる強い精神力がなければいけません。

応援してくれる人がいて、毎週観客に脚光を浴びてプレーできることは幸せなことですが、それは大きなプレッシャーでもあります。いいときの称賛はそれほどでも、悪いときの批判はとても大きいのです。

負けたり、悪いプレーをして落ち込んでいる暇はありません。次週には次の試合があり、選手のリアクションが試されます。そこでネガティブ思考なら、負け続けるだけです。

ポジティブ思考が強要される環境にいるサッカー選手には、自然にポジティブ思考が養われます。

勤勉性

結論、サッカー選手は根が真面目じゃなければ、続きません。どんなに見た目や、行動が軽率なように見えても、真面目にコツコツと努力できる人間だからこそ、サッカーを続けられているのです。

サッカーは、「好き」だけでは続けられません。小さい頃は、「好き」の気持ちだけでやっていても、成長するにつれて競争が激化して、辛いことや苦しいことが多くなり辞めてしまう人も多くいます。また、経済的な面もあり、夢を断念しなければいけないケースがほとんだと思います。

年俸数億円のトップ選手から、他の仕事とサッカー選手を両立するセミプロの選手、選手を夢見る青年まで、サッカーに真剣に打ち込んでいる全ての選手に共通して言えることは、勤勉性です。

競技人口が圧倒的に多いサッカーでは、進化のスピードは凄まじく、選手の代わりはいくらでもいるので、毎日の小さな努力の積み重ねができない人は、生き残れなくなります。サッカー選手が勤勉になるのではなく、勤勉だからサッカー選手になれるのです。

記録よりも記憶

記録はいつかは消えてしまいます。何個タイトルを獲ったとか、何点取ったとか、自分にとっては努力の証であり、誇らしいことですが、それはただの数字でしかありません。

いつか塗り替えられてしまう数字や、上には上がいるのにも関わらず、自分が残した記録がどれだけ価値のあるものでしょうか。

自分の残した記録なんて、誰の記憶にも残っていないのです。しかし、記憶はいつまでも残り続けます。残り続け、それを共有することができます。誰かと共有できてはじめて価値が生まれるものです。

サッカーの歴史の中で、誰がどのぐらいタイトルを獲ったなんて、誰も覚えていませんよね。ディエゴ・マラドーナが86年ワールドカップで優勝したことも、その事実が有名なのではなく、当時のアルゼンチンの歴史的背景、そして、「神の手」や「5人抜き」など人々の記憶に残るプレーがあるからこそ語り継がれているのです。

サッカーの名場面は人々の記憶に残ります。テレビに映るスター選手のプレーだけが名場面ではなく、どんな選手であろうと、人それぞれの名場面があります。
サッカーをやめても、自分自身の名場面を思い出して勇気をもらったり、友人と共有して語り合ったりできることがサッカーが残してくれるギフトです。

記録はいくらでも更新しますが、記憶は唯一無味なのです。

出会い

結局、サッカーが残してくれた一番大切なものは何かと考えた時に、友達だということに気づきます。サッカーを通して出会った人、それが一番かけがえのないものです

サッカーが好きな人が集まって、本気でぶつかり合ったからこそ生まれる友情があって、サッカーでできた友達は一生ものです。

ピッチの中で、言葉がなくても会話ができるのがサッカーです。ひとつひとつの出会いを大切にしましょう。

同じ苦しみ、喜びを共有した絆は強いです。何年経っても、笑って思い出話ができることは最高に幸せなことです。

また、サッカーほど世界規模なものはありません。どの大陸のどの地域に行っても、サッカーはスポーツという域を越えて、文化、生活の一部となって深く根付いています。
世界の共通の話題はサッカーで、言語が通じなくてもサッカーの話なら誰とでもできます。国境を越えて、誰もがすぐに打ち解けられるのがサッカーの力なのです。

まとめ

サッカーをどのように見るかによって、その価値が変わってきます。

サッカーをスポーツとして捉える人は、勝敗が重要で、勝つために技術、フィジカル、精神力を磨き、ひとつの目標に向かって突き進む素晴らしさ、成長していく姿を実感できると思います。また、心身の健康のためにも、とても有益です。
しかし、それ以外に得るものが少ないです。スポーツの枠を越え、新たな可能性を見出すことができないので、選手にとってはいつしか、好きなはずのサッカーが「楽しい」と感じられなくなったり、プレッシャーに負けてしまいます。

サッカーをビジネスとして捉える人は、選手をひとつの商品として考え、どのぐらい稼ぐのかを考えます。
サッカーは大きなお金が動きます。ビッグビジネスとして、サッカーを利用するのはとても賢い手段でしょう。しかし、そのような人にとってサッカー選手は使い捨て商品です。お金になるかならないかが判断基準で、「人」の部分が無視されています。
お金を追求してサッカーをした先に何が残るのでしょうか。得たものがあったとしても、それを得るためのプロセスや時間の使い方にどれだけ価値があったものなのか、考えなければいけません。

サッカーを、人格形成と捉える人はどうでしょうか。勝敗に左右されず、お金に左右されず、サッカーと向き合うことができています。勝敗も、お金もとても重要なことですが、一番になってはいけません。

サッカーを通して、どんな人間になりたいのか、自分の人生をどう豊かにするのかが一番大切です。「サッカー」そのものより「人生」の本質を考え、自分の好きなサッカーを人格形成のツールとして捉える人が、結局はサッカーをしているときも、サッカーをやめてからも幸せになっているように思えます。


サッカーの秘めている可能性は無限です。人それぞれ向き合い方は異なりますが、サッカーが残してくれるものは、その後の人生を豊かにしてくれることは間違いないです。
サッカーをしている人は、後悔のないように真摯に向き合うことが大切です。

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